2020.03.15.「港家小ゆきの会」
墨亭でこれまで披露された芸は、落語、講談、奇術、カンカラ三線、南京玉すだれ……。
おっと、浪曲がなかった!と、墨亭に初登場してもらうとなればと、今、注目し続けている港家小ゆきさんにお越しいただきました。
“浪曲、浪花節って聞くと、古臭いし、土臭い”という感想を持っている人もいますが、ハッキリ言って、その通りです。世の評論家は(私も含めて)、浪曲は古くないとか、常に新機軸を打ち出しているとか記すことが少なくありません。でも、やっぱりそんなことはない。東京生まれの東京育ちで、両国生まれの祖父から「浪曲なんて、江戸っ子の聞くものではない」と言われてきた私からすると、やはり東京っ子には馴染みの薄い芸に感じてしまう芸です。
確かに、小さい頃に天津羽衣や二葉百合子の『岸壁の母』を聴き、ラジオで先代の廣澤虎造の『石松三十石道中』に耳を傾け、テレビで先代京山幸枝若の『河内十人斬り』を前にしても、どっぷりのめり込むというほどではなく、落語や講談の方に面白さを感じたものでした。それが、先年、立て続けに鬼籍に入ってしまった玉川福太郎に国本武春、大阪の春野百合子といった名人の高座に接して、こんなに聴きごたえがあるものかと思い始めたというのが正直なところです。そして、先にも記した、港家小柳の日本の土を這うように押し出す声を浴びて、そうした生の芸を聴かないでいるのはもったいないと思った次第。
そんな中、出会ったのが港家小ゆきさんでした。
第一印象は声の出し方が違う…というものでした。洋の声と言ったら言い過ぎかも知れませんが、ロックを唄うような声で、それで日本人の心を唸ることができるのか!と思いました。でも、一度聴いて、それが心地よかったのと、これが十年、二十年経った時に、小ゆき浪曲という看板がしっかりと上がるのではないかと思ったのも事実です。
国本武春師は「アパラチアン三味線」と題して浪曲の可能性を追い求めていましたし、大阪ではギターを伴奏に用いる浪曲師もいます。浪曲は発生期から、新しさや周囲といった色々な要素を持ち込んで成り立ってきた芸でもあり、温故知新ではありませんが、小ゆきさんの浪曲にも、“これからさ”を感じたという訳です。
墨亭での会は、沢村美舟さんを曲師に迎えて、『太刀山と清香の友情』と『クラシカ浪曲 ベートベン一代記より「歓喜の歌」』の二席を。
前席は師匠小柳の十八番で、力士の太刀山が師匠の借金の棒引きを盾に、八百長の話を持ち掛けられますが、贔屓の芸者の清香が身を売って金を作り、それで八百長相撲をせずに勝って欲しいと頼み込む世話物語。太刀山は明治時代に活躍した実在した第22代横綱で、小ゆきさんの節と啖呵からは、太刀山の心の支えになりたいという清香という女性の心意気が感じられ、それこそ、太刀山が臨む一番がどうなるのかとワクワクさせる一席でした。
後席は文字通りの?新作浪曲。小さい頃にピアノと声楽を学んでいたという小ゆきさんならではの一席です。クラシックに明るくない私からすると、登場人物がややこしい!(笑) でも、後に世界で唄われるようになる「第九」がそうして完成したんだ~と勉強になりました。三味線の伴奏にのせて、小ゆきさんが唄う『歓喜の歌』は、是非、お聴きいただきたいところ。まさに浪曲の幅や芸の懐の深さを感じさせる内容でした。
前席が終わった直後に、一番前に座る女性から「よかったですよ」という感想が飛び、終演後には「まさか浪曲で第九が聴けるとは思いませんでした!」と驚きの表情をした男性から感想をもらいましたが、私も同感です。
やはり、浪曲師・港家小ゆきにお願いしてよかったと、強く思えた会でした!
さて、当日は予定になかった道路工事が始まってしまい、折角の高座に横やりが入ったようで申し訳ございません。途中、「一時間だけ時間を下さい」とお願いにしに行ったところ、現場を遠くに変更してもらえましたが、それでも……で。小ゆきさんにも美舟さんにも、もちろん、ご来場いただいたみなさまにもご迷惑をお掛けしました。でも、勝手に開き直れば、それが「墨亭」の魅力?ということで、これからも御贔屓いただければ幸いです。
次回の「小ゆきの会」は6月ごろにお願いできればと予定を組んでおります。
どうぞよろしくお願いいたします。(雅)
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