2020.02.22.「林家正雀 噺の世界」

墨亭開亭以来、大変にお世話になっている林家正雀師匠ですが、年明けからは連続で、三遊亭圓朝作の『粟田口』を3回に分けて演じています。その2回目は「国府台の紅葉狩り」を。

刀屋の番頭重三郎は、ある日、一人の侍に襲われ、金森家から預かっていた「粟田口国綱」という名刀を奪われ、自ら命を絶とうとするところを仙太に助けられます。それに続いて、舞台を国府台に移して、新たなる展開が待ち受けています……。

正雀師の描く複雑な人間模様には、いつものめり込んでしまいます。そして、これから!というところで、連続物の醍醐味?である「次回をお楽しみに」……。

中入り後は、師の十八番である『豊竹屋』を。こちらは前半から一転して、いい意味でバカバカしい滑稽噺として聴かせてくれました。

さて、中入り前には、私も登場しての対談。これがまた長く、40分も二人で話していました(笑)。その対談で一件。

実は対談をやりますと事前に聞いていなかったので、まさにぶっつけ本番。高座に呼ばれると「今日は三遊協会の話をしたいと思っていまして……」と、いわゆる昭和53年に起こった「落語協会分裂騒動」について話すことになりました。

「落語協会分裂騒動」とは、昭和の名人・六代目三遊亭圓生が、当時の落語協会会長・五代目柳家小さんによる大量真打昇進問題を一つのきっかけにして、自身の一門をはじめ、志ん朝・談志・圓鏡(のちの圓蔵⑧)といった若手落語家を連れて、落語協会を脱退したという事件。その経緯については、様々な落語家であったり、当時の評論家達が証言を残しているので、ここでは省略しますが、私としては、正雀師の師匠であり、圓生師のライバルとされた八代目林家正蔵の話や、当時、若手として抱いていた正雀師の気持ちや思いといったものを聴いてみたい気持ちがあったので、恰好の機会でもありました。その内容に関しては、当日いらっしゃった方々のお土産と宝物としておきますが、一点、訂正しておきたいことを。

師との話の中で出てきた、談志師と小さん師の師弟ヘッドロックの件ですが、これは東宝名人会でのことではなく、小さん一門の新年会の時のことでした。実は対談時に分かっていたのですが、勢いや流れを大切にしたかったので、そのまま進行してしまいましたが、ここで訂正をしたいと思っています。

〈ある年の新年会で取っ組み合いの喧嘩になった。ヘッドロックで師匠の頭を締めたが、あの通り丸い頭だから締めにくい。うしろから師匠の内儀さんが私の背中をけっとばしていた。美しい夫婦愛だ。/師匠は私に頭を締めさせていた。あとの言い草がいい。/「本気でやれば、俺のほうがよっぽど強い」/それは私も認める。〉(立川談志『談志楽屋噺』)

次回の正雀師の墨亭登場は、3/29「正雀・菊志ん二人会」。その会で『粟田口』の大団円を迎える予定です。もちろん、これまでの展開もダイジェストで紹介しますので、気になる方は是非ともご来場を!(雅)

↑私はどんな表情をしているんだ!www

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