2020.1.18.「林家正雀の会~彦六噺を味わう」
本日の会のパンフレットより。若干、修正等を行っています。
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個人的な話になるが、八代目林家正蔵(56年に「彦六」に改名)は、志ん生・文楽・圓生と並ぶ昭和の名人の内、かろうじて間に合っている落語家である。私が落語を聴き始めたのは昭和55年であるから、半分正蔵時代、もう半分が彦六時代といったところだろうか。主に新宿末広亭や東宝名人会の高座で『しわいや』『普段の袴』『やかん』といった、いわゆる寄席ネタを聴いた記憶がある。
その後、林家正雀師匠と知り合い、縁あって『八代目林家正蔵戦中日記』をまとめることができ(出版元の青蛙房が閉業してしまったのが残念)、ポツポツと正蔵関連の資料を入手し、おまけに私も正蔵師匠も5月生まれとくれば、何だか私にとっては遠くて近しいような落語家に思えて仕方がない。
正蔵師匠が旅立ったのは昭和57年1月29日。毎年、何らかの形で「正蔵を偲ぶ会」が開かれていたが、去る者は日々に疎しの言葉通りなのか、今年は周囲を見渡しても、これといった会がなかったので、正雀師に話を持ち掛けてみたところ、年末の「林家の牛めし」に続いての「彦六噺で偲ぶ会」の開催と相成った。
すると今度は、正雀師匠が「『粟田口』を連続で演じたい」と言ってきた。数年前に黒門亭で聴いた時に、師匠に似合った噺だ!と思ったので、それは面白いと食いついてみた。三遊亭圓朝作の『粟田口霑笛竹(あわたぐちしめすふえたけ)』は、盗まれた名刀・粟田口の捜索と、一節切(ひとよぎり)笛の名手・稲垣小左衛門の仇討を軸とした、江戸に川崎に成田と舞台を移していく長篇噺。また、噺の舞台には、枕橋に白鬚に堀切と、原作では向島周辺が登場するだけに、正雀流『粟田口』では、そのあたりはどうなるのか。師曰く「三回に分けて演じる」とのことなので、その組み立てにも大きな期待をしている。
今日、ご参会いただいた方は、今回だけ聴いては尻切れトンボ。2月・3月もこの墨亭に通ってもらわないといけない。そして、彦六噺の魅力と正雀噺の面白さをともに堪能していただければ幸いである。
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師匠の八代目林家正蔵を偲ぶ会というだけあって、今日演じた3席は正蔵十八番にも選ばれようという噺。
(本日の番組)
「山崎屋」
「旅の里扶持」(長谷川伸・作)
対談「彦六思いで話」:林家正雀&瀧口雅仁
~中入り~
「粟田口・一『佐賀町河岸』」
おまけ「開帳の雪隠」
墨亭の一階では、急遽、オフィスぼんが所蔵の「林家正蔵資料展」。サインに直筆原稿に写真等で正蔵を偲んでもらいました。
次回『粟田口』の第二話は、2月22日(土)14時開演の「林家正雀の会」です。
みなさまのご来場をお待ち申し上げております。(雅)
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