旧連載①:今日聴いた一席、明日また聴きたい一席・その22 より

約10年前に、旧・オフィスぼんがブログで連載していた原稿が眠ったままであったので、こちらに転載。いきなり「23」から始まるのは、取り上げている題材の季節が近いものを掲載しようと考えたからです。原則として、文章は当時のまま。明らかな間違いや、追加しておいた方がよいだろうと思われる部分は加筆・改訂を適宜行いました。お目汚しになりますが、もしよろしければお付き合い願います。


【十一代目桂文治『牛ほめ』】

 落語史上最大の謎がある。それは『牛ほめ』の伯父(叔父?)さんは、何故、牛を買っているのか!だ。

 新築したという家で牛を飼っているとは? これがいわゆる田舎の家なら、牛小屋の一つでも建てて、牛を飼うというのは分かるが、江戸・東京市中で何故牛を飼っているのだろうか! しかも与太郎もその父親も牛を飼うようになったという事実に、特に驚いた様子もない。もし私が父親から「今度、おじさんが家を建てて、牛を飼いはじめた……」なんて話を聞かされたら、その時点で「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」と話を遮るに違いない。

 で、この謎を解くカギは、実は先に「江戸・東京市中」と記したところにあるのだ。いわゆる「古典落語」と呼ばれるものの時代設定は、江戸~明治・大正という広いもの。ここで時代を大正にまで据えるのは、関東大震災で江戸の町並みが壊滅状態になったからで、近代化と江戸が共存していた頃合いまでを時代設定としてもいいだろうと思うからだ(「古典」という概念は別のところにあるだろうが)。だから、落語には人力車も登場する(『反対俥』)し、ビールの王冠が登場したり(『長屋の花見』)もする。

 そして、明治という新時代を迎え、西洋文化が膨大に流入すると、庶民文化にも変化が生じるようになる。衣・食・住の中でも、特に「食」に関しては大きな変化があった。何しろ江戸時代には口にしなかった肉を食らい、牛乳やバターが持ち込まれるようになる……。で、ここなのだ。明治政府により健康増進を目的に牛乳の飲用が勧められ、そのために乳牛の飼育が急速に求められたのだ。しかし、急に牛を飼えと言われても、ノウハウ以上に先立つものと牛を飼うスペースと暇や時間がない。だが、この条件にピッタリな人がいた。それが旧武家を中心とした人達で、俸禄の一時金をもらっており、庶民より広い屋敷を持ち(中には屋敷を売り払った者もいて、市中にはは一時期土地があまっていた)、何しろ仕事がなかったのが幸いで、いわゆる「士族の商法」に取り組みはじめたのだ。

 となると、佐兵衛おじさんは元は武士? 更にそう考えると、与太郎は時代劇にも出てくるボーッとした若旦那? そこまでは考え過ぎかも知れないが、与太郎の父親が教えて聞かせる家の褒め方なんて、そんじょそこらの教養ではすぐに出てくるものではない。……となると、やはり武家の出なのでは?と、話が堂々巡りになってくる。噺の可能性として、元々は武士であったとすることで、噺の背景がすんなり納まることも間違いない。

 この秋(2012)十一代目の桂文治が誕生した。落語興隆期からある由緒ある名前で、名人と呼ばれる人達も多数いた。近年では伸治から文治になった十代目が懐かしいが、その弟子の十一代目が師匠ともども得意にしているネタが『牛ほめ』だ。新文治の『牛ほめ』は、何しろ与太郎が明るくバカであるのがいい。落語は笑えるのが一番 。その与太郎のモデルは十代目と同時代に活躍した四代目春風亭柳好が表現した与太郎像にあるらしい。

 新旧の文治による『牛ほめ』は、他の演者と演出の異なるところが幾つかあって、途中に出てくる「噂に聞く、京の金閣寺もはだしでございましょう」という家の褒め方の違いなどもそうだが、なんといっても特徴的なのは、そのサゲだ。台所の穴を隠すのは、大抵が秋葉様の火伏せのお札なのに、文治師弟はこれを「防火宣伝のお札」とするのだ。確かに秋葉様のお札より分かりやすいが、ちょっと近代的し過ぎやしないか。でも近代は明治からとするのが一般的か。ならば乳牛の登場とも重なっていていいのか。牛の尻の穴に貼ると「屁の用心」になるのはガス封じ。日本のガスの歴史は明治5年。だが、生物が我が身から生み出すガスは太古からあったもだから……。そんなバカなことも考えさせる、よく出来た滑稽噺なのである。

初出:2012.09.17

0コメント

  • 1000 / 1000