八代目一龍斎貞山を偲ぶ:2021.06.01
木馬亭でスマホのバイブが鳴り続いた。
お目当ての木村勝千代が『小猿七之助』を演じ終え、幕が閉まったのと同時に電源を復活させると、複数人から「一龍斎貞山死去」の一報があり、大変に驚いた。先々月の独演会だかで、かなり具合が悪そうであったと聞いてはいたので、調子はどうなんだろうと思っていた矢先でのニュースであった。
初めて聞いたのは、30年ほど前になるだろうか。得意とされる義士伝を聴いて、その重厚、かつ、ふと力を抜くところの読み口に、きっと昔の講釈師はこうした読みをしたんだろうと思わせられた。
貞山と言うと、格調高い読み口と指摘されることが多いが、私にとっては、登場人物の「情動」に比した読みが魅力であった。武士であれば、何故そういう行動を取るのか。それが市井に生きる人であれば、どんな会話で心を動いていくのか。その腹を据えた読み口の奥に、そうした人間の情動を大切にした描写があり、それが魅力であった。
勿論、その腹が座った重厚な語り口もまた貞山講談の世界の魅力であり、生では未体験ではあるが、戦前の講談界で政治的な辣腕を振るった実力者の六代目貞山や、戦後に活躍した五代目貞丈といった人たちに流れる「貞の字畑」の芸譜を感じることもできた。
印象に残る高座は「赤穂義士伝」から『神崎の詫び状』や『天野屋利兵衛』。それに『柳生二蓋笠』か。
江戸に下る神崎与五郎が自分の思いをグッと飲み込んで馬子の言うことに従うも、決して秘めたる思いを失わないでいる姿を、その語り口ばかりでなく、目力や頬に溜める口惜しさで描く姿。厳しい拷問にあっても、それは自らに与えられた試練であり、白状してしまえば人としての尊厳を失うと言わんばかりの苦悶の表情ばかりでなく、その声の震えで描く様子。勘当された身の上ではあるも親に槍を向けることはできないという様子と、実はそれが我が子であることを知っている父親との、決して外に出さないところで見せる心の戦い。そうした心情が人を動かし、更にその人の動きが物語を揺り動かしていく。そうした描写に長けた演者であった。
実父は七代目貞山であるが、弟子入りしたのは養父にあたる六代目神田伯龍のもとであったのが、そうした芸を培ったとも言えよう。伯龍は張り扇や小拍子を使わず、自身の柔らかな読みだけで、独自の世話物を読み続けた講釈師であった。談志が惚れた五代目伯龍の『小猿七之助』を継承し、白浪物の『天保六花撰』や『祐天吉松』といった読み物も、登場人物の情動を大切にし、静かに読み進めていた。貞山の読み口は伯龍のものよりも男性的であったが、伯龍の弟子として、その芸譜を継いだことは間違いないだろう。
今、講談界は女性講釈師が軸にある時代にあると言える。貞山に続く一龍斎の男性は、真打の貞橘に、前座の貞司の二人になってしまった。男の弟子を育ててもらえれば……と思ってはきたが、実娘の貞鏡が頼もしい。一龍斎のお家芸である武芸物や金襖物、そして義士伝は貞鏡が引き継いでいってもらいたいと思う。
最後に聴いた生の高座は、3月の「講談かぶら矢会」での『山内一豊』になってしまった。無理に声色を変えることなく、博労を演じれば博労のセリフとして聞こえ、武士を演じれば武士のセリフに聴こえる。更に、馬揃えの場面での修羅場も外に押し出すようではなく、その一単語一単語を大切に読んでいた。と記すと、当たり前のことではあるが、その当たり前のことができる講釈師も少なくなってきた。
墨亭への出演は叶わなかったが、いつかはその高座に上がってもらいたいという夢はあった。
八代目一龍斎貞山。
陳腐な表現ではあるが、貴重な講釈師が彼岸へ渡ってしまった。(雅)
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