講談最前線(補)~宝井琴凌の「味方ヶ原軍記」の意義と楽しみ
・以前、あるベテラン落語家の師匠と「前座噺の特集の会をやりませんか。そしてその音を残したいのですが……」と相談したことがある。賛同はいただいたのだが、結局、企画そのものを考え出して進めると、前座噺だけの会というのは意外とやりにくいし、しっかりと後世に残していくべき音が録れるのか?ということになり、開催にはいたらなかった。
・CD全盛期においても、先人より伝えられて、今、演じられる形での『子ほめ』『たらちね』『道灌』『寿限無』といった噺を、音で聴ける機会は皆無に等しかった。ただし、勿論、「前座噺」というカテゴリーがそもそもある訳ではなく、落語家にとっての口慣らしや基本がたっぷり含まれている噺を、そう枠組みしている訳だが、落語の定席ではいわゆる前座噺を毎日のように聴くことができるが、講談の定席(と呼ばれる席)で、講談の入門話とされる『味方ヶ原軍記(三方ヶ原)』をはじめとした修羅場を聴くことは意外と少ない。
・先に『講談事典』を編んでいる際に、実は『味方ヶ原軍記』の速記を色々なバージョンでのものを見つけることができず、落語の前座噺であれば速記は意外と残っているのに、先に前座噺のCDを残しましょうと提案した時のように、基本的とも言える話なのに、CDどころか速記も残っていないのか!……と思えて仕方がなかった。
・何を言いたいかというと、だから墨亭で読み進められている『味方ヶ原軍記』の会は貴重であり、意義深い会であるということだ。そして当会で前講を務めることの多い、神田おりびあさんにしても、神田ようかんさんにしても、琴凌先生に負けじと言わんばかりに軍談を読んでいるのが頼もしい(今日、読むかどうかはわからないが・笑)。修羅場を読みまくることで、他の講談を読む時にも、その力が発揮されてきていることがわかるだけに尚更だ。
・修羅場の代表作と言える『味方ヶ原軍記』を聴く意義。読まれる意義。そして講談の醍醐味を楽しむ意義。ちょっと大袈裟な表現かも知れないけれど、毎回の面白い展開が待ち、ワクワク感あふれる場をお楽しみいただきたい。
宝井琴凌先生と神田おりびあさん(墨亭にて)
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