講談最前線(補)~なみはや講談フェスティバル2022へ行って来た(上)

上方の講談会派の一つである「なみはや講談会」にとっての特別な会とも言える「なみはや講談フェスティバル」。9/3(土)の夜の部だけであったが、会場である神戸新開地の喜楽館へと行って来た。

なみはや講談会は、旭堂南鱗を筆頭に、南北、南華、南海、南湖、鱗林、一海、そして左南陵を会友に、三代目旭堂南陵(1917~2005)の直弟子を中心に、師の遺志を受け継ぐ協会であり、三代目南陵の弟子は他にもおり、それぞれの形で活動を続けているが、詳細を記しはじめると、昨今のお家騒動につながるので、その関係については拙著『講談最前線』(彩流社)をご参照願いたい。

全10公演開かれる中、覗けたのは一日一公演だけであったが、足を運べた日の感想をひと言で記せば、大変に充実した良い会であった。

本来であれば、その中身なりは、順を追って記すべきなのだろうが、何しろトリを務めた旭堂南北先生による『八丈島物語』が絶品であり、まずそこから迫りたい。

『八丈島物語』は『宇喜多秀家・配所の月』等と題することもある、関ケ原の合戦で西軍側にあったために八丈島へ流罪となった宇喜多秀家にスポットを当てた話であるが、敗軍の将として、尾羽打ち枯らすという表現がふさわしいのか、今は流罪の身であるも武士(もののふ)の心を決して失わず、自らが信じて、自らが選んだ道であったからこそ、その身の上を受け入れ、また機会さえあれば、再び身を立てんことを心に誓う……。そんな秀家の複雑な心を集約するように描く高座。更に、三年振りに味わう酒を樽酒から一杯汲み出そうという時に、酒面(と言えば良いか)に映る満月の姿と、同じように映って見える己の顔を重ね合わせた時に感じる思いといったものを、その枯淡な読み口で、かつ滔々と静かに読み進める南北先生の姿とも重なるように見えてくるようで、みなが静かに聞き入る喜楽館が八丈島にさえ思えてくる……。そんな素晴らしい一席であった。

上方講談の昔の定席の様子は知らないが、南北先生のような古き良き時代の講談を感じさせる講釈師の芸を、釈場で毎日聴くのも楽しいだろうなと、そんなことをも感じさせる高座であった。=続く=。(雅)

0コメント

  • 1000 / 1000