講談最前線(補)~神田菫花が読む『西遊記』と講談の奥行きについて

現在、墨亭で進行している連続講談は、『徳川天一坊』に『古市十人斬り』、そして『太平記』と、それぞれの作品の大体の全体量は分かっているのだが、今、神田菫花さんが読み進めている『西遊記』はというと……。

作者は今もって未詳とされる『西遊記』は全100話。孫悟空の登場は第1話、三蔵法師は第12話、猪八戒が第19話、沙悟浄の第22話と、さすがに物語の狂言回しは全員出揃っており、今は目的の天竺へと向かいながら悪漢どもとの対決を描いている。私の世代であれば、夏目雅子に堺正章に西田敏行に岸部四郎といったキャストであるが、そのイメージが強すぎて(?)、意外と天竺までの細かなストーリーを覚えていなかったりもする。そこでこの会をはじめるにあたって、菫花先生の読みに先んじるように、岩波文庫版の『西遊記』を読み始めた。ところが全10巻中、3巻まで読み進めてきたところで、忙しさにかまけて本を投げ出してしまい、筋斗雲に乗るがごとくの菫花先生にスイと追い抜かれてしまった。(笑)。なので、私の『西遊記』の行方は菫花版『西遊記』にかかっている。いや、縋るしかない……。

他の連続講談と異なり、演じられる頻度からすれば『西遊記』は未知の領域にある作品ではないだろうか。

連続物の醍醐味は毎回のストーリーとそれに関わる登場人物達の活躍ぶり、そしてそれを前にした時のドキドキ感やハラハラ感にある。『西遊記』に関して言えば、その結末は比較的多くの人に知られていようが、どのように話を進めていくのかという演者の引っ張りもまた毎回の聴きどころと楽しみを支えている。そう考えると、菫花先生特有のケレン味がにじみ出る読みは、滑稽さも多いこの話には似合っていると思っている。

実は(?)硬い読みを得意としている菫花先生の『西遊記』においては、そのどこかとぼけた、ケレン味あふれる軟らかな読みがまた、読み手に対してその展開を心ゆくまで楽しめる世界感を作り上げている。淡々と一行が進んでいく様を読んでいっても『西遊記』の魅力は感じられない。迫力と笑い、そして講談の「読み」が合わさってこそ、その世界は繰り広げられるのであり、菫花一流の読みが高座を盛り上げる訳である。

更に、毎回、後席に披露される話がまた楽しみである。先日『忠僕直助』を聴いたが、義士伝の持つべき「別れの美学」を見事に描き出した。他にも軍談に武芸物、そして世話物と、その確かな読み口が味わえるのも神田菫花の会の魅力であると思っている。

そんな菫花先生による『西遊記』読みの会は、講談の幅の広さと奥行きの深さの両方を感じ取ることができる贅沢な会でもあると思っている。特にコロナ禍にあって、旅へ出るのもママならないだけに、毎回の仮想旅行の展開が楽しみでもあり、菫花ワールドの講談の世界もまた楽しみでならない。

『西遊記』も残り数回、三蔵法師一行とともに、菫花さんもまた率いてくれる天竺までの旅を味わいにきていただければ幸甚である。(雅)

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