講談界の二件の訃報:2020.12.12.
講談界に大きな訃報が二件続いた。12月2日には神田翠月先生が、翌3日には一龍斎貞水先生が亡くなっていたことが伝えられたのだ。墨亭にはご登場いただけなかった両先生であるが、講談界を長く、深く支えた先生であることは間違いない。
翠月先生は先日の墨亭講座でもその名前を挙げたが、女性講談の草分けという言葉では単純に片付けられまい。ちなみに、一般的には「女流・講談師」という言葉を使うのだろうが、私は日頃「女性・講談師」という言葉を使ってきた。もはや講談界は数だけでなく、その実力からいっても男性をしのぐ勢いにあり、あえて性差をつけて説明するには、「女性」とする方が適切と考えているからだ。
女性講釈師の走りについては一考が必要だが、宝井琴桜、神田翠月両先生の存在があったからというのは間違いではないだろう。昭和40年代にメディアでも活躍した田辺一鶴が講釈の世界を拡げなければと迎えたのが、この二人であった。その歴史はここでは略すが、琴桜先生が女性目線での、ある種の封建社会のあり方を問いたのに対し、翠月先生は男性と同じ姿で男性言葉で講釈を演じたことが大きかった。男性社会の中にあって、当然苦労もあっただろうが、女性であって男性が築き上げてきた講釈のあり方を提示していったのである。
私がよく聴いた演目は『三味線やくざ』『出世俥』『大名花屋』『母の慈愛』『番場の忠太郎』、そして『お富与三郎』。
この『与三郎』に関しては思い出がある。今から10年以上も前、日暮里・南泉寺で「伯円忌」という、明治期に三遊亭圓朝と肩を並べた松林伯円を偲ぶ催しが開かれていた。次第の中で奉納落語ならぬ、奉納講談の時間があり、翠月先生がそこで『玄冶店』を演じたのだ。得意演目であり、その日も楽しみであったのだが、実はあまり良い出来でなかった…。終演後、お話をする機会があり、こちらからのコメント与える間もないように、「最近、声が張れなくなってしまって…」と、諸事情があったのを知るのは後日であるが、そんな言葉が口から出たのに寂しさを覚えた記憶がある。
啖呵の切れる高座は清々しいものであったが、男性とは異なるような、奥底に女流らしい温かな様子をうかがわせるものがあり、それはまた侠客の世界や、悪人として生きるも、実は誰もが持つはずの人間の温かさといったものを描き出していたようであり、私にとっては母が聴かせてくれた「講釈という物語」といった思いを抱かせてくれる女性講釈師であった。
77歳。まだ若い。近年、講釈を聴き始めた人に一度は聴いてもらいたかった名講釈師が旅立った。(続)
※写真は講談協会HPより
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