2020.08.08.「神田愛山 真夏の連続講談の会【初日】」
★以下、臨時パンフレットとして配布したものの加筆修正版です。
ここ墨亭を開いて良かったなあと思うことは、これまで何度もありましたが、8/8はまた、殊にそう思えた日でした。神田愛山先生の『三方ヶ原軍記』にそれを感じさせられたのです。
落語の世界では入門をすると、噺の基礎が詰まった『道灌』や『寿限無』『たらちね』を習うのが一般的ですが、講釈師になったらという一席がは『三方ヶ原』です。発声や呼吸法、間の取り方や張り扇の叩き方といった講釈の基本を身体に染み込ませることのできる「修羅場」を学べる話であり、この話を通らずして、講釈師の道は進めないとされます。
愛山先生による『三方ヶ原』の本題に入るまでのマクラでは、コロナ禍の生活や、愛山先生が師匠の先代山陽よりも、六代目小金井芦州先生に可愛がってもらったという話をたっぷりと。勿論、そこでも愛山節が光り、更に一連の講談の修業についてを振ってから本題へ。そして、声をひとっ調子上げて、「頃は元亀元年壬申年、十月十四日……」と、先生曰く「意味なんかわからなくともいいんです」としつつも、こんな表現を使ったら失礼かも知れませんが、前座の読む『三方ヶ原』とは全くもって違ったもので、読み上げる言葉の一つ一つが心に突き刺さるように響き、確かに難しい言葉はあれど、『三方ヶ原』って、こんなに面白く、「修羅場」の楽しさを実感することができる話だったのかと改めて思いました。
今回は『三方ヶ原』の発端たる部分を読み上げ、締めは新宿カウボーイのサゲのようでしたが(分かる人には分かる…?)、機会があれば、また続きを聴かせて欲しいものです。
後席は『三十三間堂誉れの通し矢』。これは修羅場の次に教わる武芸物の一席。武芸物とは……というところで紙幅が尽きました。
そして8/9は、神田春陽、神田伯山にも教えたという「天保水滸伝」より『ボロ忠売り出し』と、ご存じ「赤穂義士銘々伝」より『赤垣源蔵徳利の別れ』。階段の方から泣き声が聞こえたら、それは私です……。(雅)
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