墨の戯言10~新宿末広亭のビラはいつ無くなったのか。:2020.05.11.

一連の自粛対策の中、秘かにオフィスぼんがの資料庫(?)の整理と断捨離を進めています。今日は大量のビラ・ポスター類の整理をしました。

墨亭の階段を上ったところに、昭和45年に閉業した人形町末広のビラが飾ってあるのを目にした方も多いかと思います。古くは式亭三馬の『浮世床』の挿絵等でも見られるビラ。辞書を見ると「bill」が由来と書いてありますが、とんでもない! 『浮世床』の中にも「びら」という言葉が登場する、実は立派な日本語です。「チラシ」とともに広告するために配る一枚物の印刷物を指しますが、「ビラ」は壁などに貼り出す物を指してます。

かつては寄席のビラというものもありましたが、近年は見かけることがほとんどありません。都内の寄席では国立演芸場が作っている位ですが、私の世代であれば、新宿末広亭と池袋演芸場のビラを以前は良く見かけました。……ちなみに、これは時効とご判断いただきたいのですが、夜中にビラをよく剥がしに行ったのを覚えています(調布駅北口の飲み屋が並ぶ横丁の曲がり角に貼ってあったものを……)。でも、あの家元立川談志も同じ経験があることを自著の中で記し残していました!(と、威張っても仕方がない?)

新宿末広亭のものは色合いも派手だったので、新宿駅の構内-今で言う埼京線の階段あたりに、映画のポスターと一緒に貼り出されていてもよく目立っていたのを思い出します。

その新宿末広亭が、いつ頃、ビラを作らなくなったのかという質問を受けることがあります。

答えは「平成元年三月下席」。一般的に言えば、昭和63年度の終わり、つまり昭和とともに制作を終了したと言えるかも知れません。

↓これがその時のビラです

落語芸術協会の芝居で、昼トリが三笑亭笑三、夜が三笑亭夢楽と、ともに故人になってしまいましたが、あの頃の芸協らしいメンバーが顔を連ねています。ちなみにこの頃の夜の部の終演は21時30分でした。

ポスターの右下脇には「最終版」としてあり、左下脇には寄席文字の橘右近師の筆で「昭和廿一年以来お目通しを頂きました当ビラも都合上今下席で終了致します/今後共に末広亭を宜しく御愛顧の程お願ひ申上げます」としてあります。

自塾自粛で外出も思い通りにいかない毎日。こんなビラを見てしまうと、ますます寄席通いの想いが募るかも知れませんが、どうかご容赦の程を。そして、自粛明けの際には「墨亭を宜しく御愛顧の程お願ひ申上げます」。(雅)


※写真には撮影時に使用した小物が写り込んでいます。

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